8月に入って、「ひとを偲ぶ」ことが続きました。
父の命日に、父を偲び
昨日は、淡路島の友人と、昨夏亡くなった心友を偲びました。
私たち三人は、13年前、同じヨガスクールに通っていた同期生でした。毎週日曜日、朝から夕方まで一緒に学びました。たくさんの仲間がいたし、他にも親しい友だちはいるけれど、いつの頃からか、この三人で、それぞれの練習法をシェアし合ったり、クラスを受け合って互いの学びを深めたり、美味しいごはんを一緒に食べたりする仲間になっていました。
まだまだ、これからもその関係性を続けていけると思っていたのに、あっという間のできごとでサヨナラの日を迎えてしまって、今でもどこか信じられません。
お葬式の時に、ご住職が言っておられました。
「あの世は、スマホのように圏外はありません。想ったり、話したりすると、すぐに繋がることができます」と。
その話をしながら、お墓が遠く離れているし、場所も分からなくて、お参りに行けないけれど、仲良し三人組での集まりを思い出して、おしゃべりをするだけで、ちゃんと想いは通じているような気がしました。
「こうでなくちゃ」ということなんて、存在しないのかも知れませんね。大事なのは、気持ちなんだと思います。
最後に会ったとき、私のオットが長年勤めた会社を退職して、徳島へ戻り農業をする報告をしたら、泣いて喜んでくれた友だち。
私が励ますどころか、私より溌溂とした大きな声で、励ましてくれた友だち。
ずっと感謝をしています。
元町から、西に向かう帰りの電車。車窓から、友だちがずっとクラスを開催していた塩屋のグッゲンハイムを見ました。
「神戸好きな人だったねえ」
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帰り際、淡路島の友だちから手渡されたプレゼント(写真)
お菓子の箱に、手作りラベルが貼られていました。猫とガイコツくんが好きだった彼女と、カタツムリ(私)、ハリネズミ(友だち)が結集していました(^-^)
「イキなことするやん」と、思わず笑ってしまいました。 友だちのあったかさに、じーんとしました。
朝霧カタツムリ