「言葉って、窮屈だ」
こころに在る想いを表現したいのに、文字にすると物足りなく感じることがあります。
しかし、「言葉に表しきれない」とわかっていても、「懸命に伝えようとする」エネルギーが、その足りなさを埋めてくれることはあると信じて、表現し続けたいと思います。
現代では、誰もが発信できるツールを手にしていて、ネット上には言葉も表現も溢れかえっていますが、その在り方は本当に人それぞれ。安易に他人の表現を盗む人もいるし、それに騙される人もいます。
そして、何かの記事や投稿を読んだだけで、すべてがわかったような、妙な勘違いを起こしてしまいがちです。
ネット上の表現のほとんどは、刹那に終わってしまいがちですね。
最近は、特にそれを感じます。
ヨーガをお伝えする立場として、ヨーガに触れるきっかけ自体はどんなものでも構わないと思っています。本当に大切なのは【あなたがヨーガに興味を持った】ということです。皆さんの内側には【すでに何か、大切なことに気づいている】ことがあるのです。
始めがどんなものであれ、自己探究の旅はもう始まっているのです。そして、その旅の道を進むにつれて、あなたの現在地はどんどん変わっていくことでしょう。
どこかの時点で、私とあなたが出逢うことができたなら、本当に嬉しく思います。
私は、本当に大切なことは直接お顔を見て、手渡すことを決めました。今一度、あらためて。
皆さんと直接関わり合い、ヨーガを伝える中で、立ち上がってくるエネルギーに勝るものはないと、これまで以上に感じているからです。
私が皆さんのしあわせに貢献できますように。
今日は、そんな想いを。
いつも、本当にありがとうございます。
朝霧カタツムリ
*ヨーガの哲学「不盗」・・・盗まないこと。
誰かの表現を盗むこともこれにあたります。他の人の手がらを自分の手がらのようにして、振舞うなども。
それ以外にも、相手の時間やエネルギーに心配りしないことも。自分の欲(愚痴を聞いてもらいたい等)が先で行動してしまうと、ついつい相手への気遣いを忘れてしまいますね。思い当たることはありませんか?
こんな風に、ヨーガの哲学は日々日々、私たちの暮らし・人生の気づきに役立ちます。