「悟る」は「差取る」

 

この間、ある人が「悟るって、差を取る」ってことなんだよ、と教えてくれました。

 

(「サトル」の音がこんな風に表現されるなんていいなあ。。。)

 

と、思ったのと同時に、目頭が熱くなるような、胸の奥がきゅんとするような、なんとも言えない気持ちになりました。「上も下もない、すべてが平等な世界」を一瞬にして想像したからです。

 

大抵の人が、生きていく上で、不平等を感じた経験があるのではないでしょうか。この時の私は、理想と現実の違いを感じて、切なくなったのだと思います。

 

・・・・・・

 

悟りとは、本当の意味で自分を知り、世界を知ることです。普段私たちが「私が」「私の」と思ったり、話していることはエゴなのです。(エゴ=自我 本当の自分ではない)

 

私も、始めからそんな話を理解できたわけではありません。ヨーガを始めたばかりの頃は、精神的にはどん底でしたが、身体を動かすことは健康に良いと思っていましたし、一生懸命身体を動かすことからスタートしました。

 

けれども、マットの上で身体を動かすことは、「自分の命の扉をノックする」ようなものであり、外側の情報ではなく、自分自身の声を拾うようになるため、自然に哲学的なことにも興味を持ち始めました。

 

なんでしょうね。多分、本当のことを知った方がどんどん楽になれるから、面白くて、ここまで来たのだと思います。今では、「差のない世界」(ワンネス)を理解できるようになりました。

 

・・・・・・

 

ちょっと、一緒に考えてみましょう。

 

あなたがこの世に生まれたのは、お父さんとお母さんの結びつきがあったからで、遡れば、両家のおじいさん、おばあさんがいて、そのまた、そのまた、というように、古から命の紡ぎがあり、それが脈々とあなたの中へ流れていますね。

 

以前、旅先で立ち寄った永平寺で、ご住職さんがこう言っておられました。「私たち一人の命には二兆もの命(DNA)が流れているんですよ。私たちはみな親戚と言えるでしょう」と。

 

ヨーガの教えからも、「すべての命の源は一つである」と教わりました。ヨーガを習い始めた頃は、ずいぶんたいそうな話に思えて、全然リアリティを感じられませんでしたけれど。

 

でも、どこか、その不思議と思える話は真実の匂いがしたのです。だからこそ、そのことを意識しながら練習するようになってからは、少しずつ「確かなこと」と思えるようになっていったのです。

 

・・・・・・

 

「悟る」ということは、宇宙の真実に気づくことです。つまりは、すべての命の根源は一つで、社会的には、上下関係があるように見えていたとしても、本当は何の差もない、みんな同じ。。。大きな命の営みの一部として、存在しているということです。

 

本当のヨーガというものは、こういうことを理解していくことなのです。アタマで情報として理解する、というよりはこの命まるごとで感じられると幸せですね。

 

ヨーガの練習は、その経験の積み重ねです。本当のヨーガを一緒に学んでみませんか。

 

 

 朝霧カタツムリ