子どもの頃から、お祭りの雰囲気が大好きでした。
思い出すのは、小学校の校庭で開かれる地域の夏祭り。ただでさえ、夏休みで開放的な気分の上に、子どもでも夜出かけられる、あの「特別な日」の感覚。。。私は友だちと夜店を廻ること以上に、お祭りの空気感自体が好きでした。提灯の灯りが夜の闇に揺れて、なんとも言えない「非日常」の世界を創り出していることを、全体の景色で捉えていたような気がします。
歳を重ねての今は、祭りは古から受け継がれたニンゲンの営みとして、奥深いものだと感じるようになりました。祭りは、大いなる自然に対して、人々の祈りや感謝を表す行事で、「日常」を守らんとする真摯な行為だと思います。
この日は、氏神さまの秋祭り。ひとり宵の風に当たりながら、ぶうらり歩いて出かけてきました。
18時から始まる獅子舞には、すでにそれを楽しみにして、地元の人々が場を囲うように、集まっていました。
普段はどこに隠れていたんだい? という立派な青少年たち、そして熟練の先輩たちが姿を見せ、次々とフォーメーションを変えて、自分の持ち場を全うして、全体のストーリーを創っていきます。
稲穂を狙う害虫を、そして人々を脅かす禍を、獅子の姿をした神が、追い払っているのでしょうか。
笛は地元の子どもたちが吹いていたようです。同じリズムを繰り返し、繰り返し、その素朴な旋律は、なんとも心地の良いものでした。
赤面の天狗が、小さな子どもたちを見つけては、棒で頭を(優しめに)叩いていました。子どもたちは恐怖のあまり、大泣きしていました。身体全体を使って泣いて、お母さんにしがみ付いている姿は可愛らしく、また羨ましくも感じました。
獅子舞のあとはこちら。
400年以上も続く、無形民俗文化財・明石の噺口流しです。知らない人たちと肩を並べ、神社の石段に腰かけて目を瞑り、そのお調子を聞いていると、なんとも柔らかい心地がして、瞑想のような感覚に包まれました。
派手さがないのがいい。土着のお祭り。
こりゃ味しめた(笑)また来年も行きたいと思います。
朝霧カタツムリ