夏休み、オットの実家で過ごしました。
オットの母さんや兄弟たち、次男家族とともに、親族一同がわいわいと集うことができたのはとても久しぶりの事でした。
明石での暮らし(ふだんのお付き合いや通常行っているすべてのこと)から、ほとんど完全に離れて、ただただ家族と一緒に「今この瞬間」を過ごし、人数分のごはんを作り、収穫した野菜の出荷の手伝いをしていました。夏休みらしく、流し素麵や花火も楽しみ、山にあるご先祖のお墓を参りました。
この日は山里に下りて、夕暮れのうだつの町並みをぶらりと散策しました。
もと来た道を戻ろうと振り返ったら、私たち家族の影が道に長く伸びて印象的でした。
それを写真に収めようとした時、感慨深さが胸にじんわり拡がるのがわかりました。
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写真だけを見ると、絵に描いたような「しあわせの象徴」かも知れません。もちろん、今確かに幸せではあるのですが、これらの影の主、一人ひとりにそれぞれの「感じ方」「選択」「表現」などがあり、私たちは「これまで」家族という関係性の中で、お互いの個性を認め合うため、擦り合わせをし、折り合いをつけ、共生するための努力をしてきたと思っています。そして、「これからも」共生するための努力をし続けるでしょう。(*「思いやり」「お互いさま」という表現を使いたいところですが、今回は努力という言葉を使います)
こんな風に影が並ぶまで、私たち家族には、本当にいろいろなことがありました。喜ばしいことだけではなく、悩みも苦しみも。でも、逃げなかったし、あきらめなかったなと思います。それぞれが「自分のしあわせのために」自問自答し、自己探求してきたし、それらをぶつけ合い、分かち合い、折り合いをつけ、ひとつひとつ乗り越えてきたことは確かです。
それらのプロセスは決して楽ではなかったけれど、どれも必要なことでしたし、私たちを成長させてくれました。綺麗ごとではなく、人生戦わなあかんときはやっぱりある、と私自身は思っています。
その鍵は「ちゃんと自分で考えること」。自分が抱えているものを誰かに見てもらって、「判断をして下さい」「楽になる方法を教えて下さい」ではなくて。
私は自分の人生を生きるために、ヨーガという方法を使って、ここまで歩いてきました。だからこそ、ヨーガをあなたにお伝えしますが、本当のヨーガは一人に一つずつなのです。私に言われるがままやるのではなく、ヨーガという「普遍的なもの」を通して、自分を知ろうとし続ける事が大切です。
ヨーガの先生は自分自身の経験から、なぜヨーガが良いのかをあなたに話してくれるでしょう。そして、ヒントをくれるでしょう。
でも、あなたがもし幸せになりたいのなら、あなた自身に聞かなければ何も変わりません。「私はどうしたいのか」を。それは、あなたにしかわからないことだから。
朝霧カタツムリ