7月22日 私が記したこと

 

このカードは私が小学生のころ、父がカリフォルニアに仕事で行った時のお土産です。

 

父は小さめの黄土色のスーツケースを愛用していて、家に帰ってくると、まずいちばんに部屋の真ん中でパカンと拡げ、家族へのお土産を取り出したものです。今、その時の父の嬉しそうな笑顔を思い出すことが出来ました。

 

父は美しいものや、ちょっとユニークなものが好きでした。飽きずにずっと飾れるような置物であるとか、その土地の文化をうかがい知れるような切手やカードを選んで買ってきました。

 

黄土色のスーツケースは、私たち姉弟にとってはわくわくを運んでくる特別な存在でした。

 

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幼い頃、それらのお土産は私のコレクションとして、ずっと手元にありました。けれども、歳を重ねた今となっては考えも変わり、どれだけお気に入りのものでも、「そのものの役割を全うさせてあげたい」と思うようになりました。カードや切手も、大切な友人・知人に送るために使うようになったのですが、このカードだけは40年以上も私の手元に残り続けました。

 

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この日、このカードに私へのメッセージをしたためることにしました。今年の終わりにひらくつもりで。。。

 

「なんて書こうかな」と思いながら、ペンを走らせ始めたのですが、私へではなく、「亡き父へのメッセージ」になりました。書きながら、そんなつもりじゃなったことを書いてしまって、父のことを想って、胸がじんとしました。

 

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このカードを書いた翌日、とても悲しいことに、心友が亡くなったと知らせが入りました。彼女は、私がヨーガを学び始めた頃できた初めてのヨガ友でした。

 

つかず離れずとても良い距離で、お互いを認め合って、ヨーガの道をともに歩いてきました。伝える練習法は違っても、いつもお互いの良き理解者でした。私が地元を中心に活動していたので、彼女の方がよく会いに来てくれました。誰にも言えない胸のつかえを分かち合って、励まし合って、問題から脱出して、いつも一緒に喜び合っていました。

 

今年に入って、彼女が珍しく体調不良を理由に約束をキャンセルしてくることが出てきました。それでも、3月13日の彼女の誕生日には私の家に遊びに来る予定でした。しかし、その日に入院になってしまって以後、亡くなる7月22日まで、たった4か月の出来事でした。

 

一度だけ、入院中の彼女にお見舞いに行けたとき、ふたりだけでいろんな話をすることができました。その中で、彼女は私のオットが早期退職をして、実家に戻ることを涙を流して喜んでくれました。自分が辛い状況の時に、私たち夫婦の新しい出発を喜んでくれて、なんとも言えない感情になりました。。。今まで、たくさん話をしてきたからこそ、だなと。。。

 

彼女はよく私に言ってくれていました。

 

直子さんがいてくれるから、私はヨガを伝えていけるんだと。

 

それは、私もまったく同じ気持ちでした。

 

彼女は私のかねてからの勧めで「指導者養成講座」を開く予定でした。「私たちが亡くなった後も大切なヨーガの灯りが消えてなくならないように、誰かに受け渡しておこう」その言葉に心を動かしてくれたのでした。

 

いつも一緒に行く朝霧のカフェで、 「直子さん、ようやく私決心がついたよ」と、宣言してくれたあの日のことを忘れられません。

 

これからは、彼女の分も、私はヨーガを伝え続けます。強い意志をもって。。。

 

この気持ちを大切なカードに追記しました。

 

「見守っていてよ、あやさん。そして、いつかあの世で報告するから、待っていてよ」私はそう記しました。

 

今はまだ、彼女がこの世から去った実感がわかず、おしゃべりの続きができそうな感覚がしてしまいます。

 

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お通夜の際、ご住職が「私たちが語りかければ、亡き人といつでも繋がれます。ケータイみたいに、圏外はないんです」という風におはなしをしておられたので、すぐそばにいてくれるものとして、心の中で話しかけています。

 

勤勉で、誰にでも分け隔てなく優しかったあやさん。

 

「今までほんとうにありがとう。たくさんたくさん、ありがとう」

 

 

*神戸で陰ヨガ「お友達レッスン+」田中綾さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。