「誕生日、どこか行きたいところある?」とオットが尋ねてくれたけれど、その夜は特に思いつかず眠りにつきました。
けれど、翌朝起きた瞬間に「中山寺」が思い浮かびました。数年前、母に手渡された安産祈願のお守りをいつか返しに行きたいなと思っていたことを、このタイミングに思い出せたことに、我ながら「最高の選択やん」とうきうきした気持ちになれました。
どうせなら、母も一緒に行けたらと声をかけたら、普段は出不精の彼女が珍しく「たまにはどこかに出かけたいな」と思っていたらしく、ふたつ返事でオッケーが。
宝塚の中山寺は安産祈願で有名なお寺です。私もふたりの息子たちを身籠って五か月目の戌の日に、安産祈願にお参りし、腹帯を頂戴しました。
近頃は、腹帯もガードルタイプのものが多く、着脱もカンタンらしいのですが、私はさらしの長い帯を出産日まで巻いていました。(あの面倒に思える行程も、子どもたちへ意識を向ける愛おしい時間でした)
中山寺には安産祈願だけではなく、思い思いの祈りを捧げに、たくさんの人々が訪れていました。時期的に色とりどりの紫陽花に、見事な蓮の鉢がたくさん並べられていて圧巻でした。
誕生日を迎える前日に、私を生み育んでくれた母と安産祈願のお守りを返しに来られるだなんて、幸せなことだなあと思いながら、古いお守りを返す場を見つけられず、私は社務所に寄り尋ねました。
社務所の方は私のお守りを見て、「すみません。中を拝見いたしますね」と包みを開きました。正直、私は「あっ、開けてもいいの?」と驚きましたが、ひょっとしたら見てすぐわかる古いものだったからかも知れません。その方は「あら!これは!」と驚いて、中に入っていたものを私に見せてくれました
なんとそこには、私の産毛が大切に包まれていたのです。そして、包み紙には私の名前と生年月日が書かれていました。その文字が不思議と現在の私が書く字体と酷似していたのも、興味深かったです。
母の記憶から抜け落ちていた「そのもの」の一件に、みんなで驚きつつも、とても温かい気持ちになれました。お守りを預かった時からおかしいなと思っていたのですが、両親はちゃんとお礼参りの際、お守り自体はお返ししていたようです。
というわけで、思い出の品はまた私の手元にあります。子をなかなか授かれなかったと聞いておりましたので、両親の喜びや私を大切に想う気持ちが、長い年月を経てこういうかたちで届けられ、とても良い一日になりました。
ここ数年は、誕生日に「産んでくれてありがとう」と母に伝えるようにしています。
そんな照れくさいことを言えるようになったのも、歳を重ねた恩恵かな笑