エネルギーの対価

 

どんな人もそこにいるだけで、言葉を発しても発していなくても、生きたエネルギーを放っているものです。

 

そして、どんな形であっても、人は必ず他者と関わって、エネルギーの交換をしているものです。

 

どこかの農家さんが作った野菜を買って口にするということも、そういうことです。その野菜は、いきなり空から降って来たわけではなく、農家さんが一生懸命エネルギーを注いで育てたものです。

 

私たちが目にするもの、手にするもの、すべてに背景があり、すべて「人」が関わって、社会が成り立っています。

 

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私たちが食べるものは、お金を支払って手に入れます。市に税金を支払ってサービスを受けたり、何か学びたいときはその先生にお金を支払って知識を得ます。

 

私たちは、そのもの・内容に対して、必要性や価値を感じ、その対価としてお金を支払います。

 

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私はボランティア活動もいくつかしておりますが、ヨーガを伝える仕事に関しては、無償で行うことをしたことがありません。何年もかけて、いのちのエネルギーとお金を費やして、努力を積み重ねた大切な学びだからです。

 

ヨーガは単なる体操ではなく、一時的なリフレッシュ法、イベントではありません。その人それぞれが自分自身と向き合い、気づきを得るような、深い価値があるものだからです。

 

(ただ、無償の愛として、自然に起こった流れの中で、お伝えしていることはあります)

 

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ヨーガのみならず、何かの講師をしている人は、半分ボランテイアのような低価格で「スキル」「知識」を提供してしまう人が多くいます。私はそういう方々の相談に乗ることが多いのですが、みんな苦しんでいます。

 

一生懸命、お金と時間と情熱というエネルギーをかけた「宝もの」であるにもかかわらず、その力を発揮する場や機会が限られています。どこか場所を借りるとなると、「営利目的はお断り」という壁にぶち当たります。よしんば借りることができても、部屋代は200%。知名度をあげて、自分の仕事に光をあてようとしたところで、公が開く講座や、準備された制度は無料かワンコインです。

 

市民の為のサークルなどは無料に近いのが当たり前。受講される方々にとっては、無料や低価格は魅力の一つでしょうけれど、講師側はたまったものではありません。私たちにも暮らしがあります。そのうえ、自分自身がとても大切にしているものだからこそ、傷ついてしまうのです。

 

私は、自らの「スキル」「知識」を安売りすることなく提供し、正当な対価を得られる社会にしたいと心から望んでいます。

 

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私はヨーガを伝えることに誇りを持っております。他の講師の皆さんもそうではないですか? 

 

ヨーガ業界特有の、露出の多いウェアを着た写真をスタジオのホームページに載せられて、低価格のレッスンを一日何本も担当し、いくつものスタジオを掛け持ちするようなことも、やめにしなければなりません。

 

それこそ、アヒムサ(非暴力)という教えに反します。

 

ご自身が何故そのものに魅かれ、大切だと思って学んできたのでしょうか。改めて、自問自答してみませんか。あなたのエネルギーに、納得のいく対価をつけましょう。

 

そして、受け取る側の方々も、想像力を持って、誰かのエネルギーが「無料の訳がない」ことを考えてみてください。もし無償の愛を受け取る機会に恵まれたなら、「ありがとう」のエネルギーを渡して差し上げてください。

 

 今日は、辛口になってしまいましたが、あなたの「観る」角度がひとつ増えるきっかけになれば、嬉しいです。

 

皆さんの率直なご感想を聞かせて頂けると幸いです。

 

 

 朝霧カタツムリ