その昔、ヨーガを始めたばかりの私は、その素晴らしさに衝撃を受け、生きる方向性を一気に変えたので、そもそもの傷を癒すことが後回しになってしまったのだと思います。ヨーガにすっかりハマり、そのままの勢いで伝える側になって、目の前の人々に向き合うことには一生懸命でも、自分には厳しくする面が残っていました。
しかし、次第に学びが深まって、ヨーガを私のためにするようになって、自身と深く結ばれると、心が満たされることはもちろんのこと、家族や友人との関係性も穏やかなものへと変化していきました。そうなると、ヨーガはクラス限定とか、マットの上だけのものではなく、人生全般に染み渡ってきて、あまりヨーガ、ヨーガと固執することもなくなってきました。
魂はより自由で、ジャンルにこだわらず、誰かと会い、率直に繋がり、語り合えるようになったのです。
数年前、このホームページを作ってくれた方が「何屋さんかわかりにくいのは良くないので、何をしている人か、はっきりわかるようにしたほうが良いですよ」とアドバイスをくれたのですが、私自身がヨガインストラクターと思っていないのです。人生を生きている、その根っこにヨーガの概念がある、それだけなのです。
最近はさらに心の赴くままに、何でも楽しんでいます。以前のように、今後のことを憂いて、いろんな不安材料を並べるより、自分を信じて行動できるようになりました。行動したことが、その後、すぐに何かに繋がらなくても、その時の経験が生きてくることがあります。蒔いた種がどんな花を開かせてくれるのか、楽しみでさえあります。
私を含む、もっと大きな存在に誘われることも感じているし、何か自分の中に抵抗を感じるときも、何故抵抗を感じるのか様子を見ることが出来るようになってきました。
「今決めなくても、少し様子を見てみよう」
最近、この言葉がよく浮かんできます。
頑なさがなくなったのは、年齢と人生経験の恩恵でもあるとは思うけど、これはヨーガのプレゼントであることを私はよく知っています。
「インストラクターとは人に指示するひとです。ヨーガを伝えるならば、ティーチャーと名乗りましょう。大文字の「T」。Yoga Teacherです」(私の先生の一人、Mark Whitwell師の言葉です)
朝霧カタツムリ