今日は、ヨガのたねの講座を受講しました。テーマは「ヨーガと人生の段階」
まず、いつものようにJ.Brown先生のヨーガのシェアがありました。
私が初めて先生のクラスを受けたのは、今から10年ほど前。それ以後、その内容はほとんど変わることはありませんでした。ヨーガのポーズはもっとたくさんあるけれど、毎回変わらない練習……。その選択には、先生なりの考えがあったのですが、基本的な理由として、その練習こそが「先生自身が毎日行っている自分のための練習」だったからでした。そのベースから、私たちに合わせて、内容を足したり引いたり、優しい選択の提示があったり……そんな具合でした。
その当時の私は、ポーズによる効能に魅せられていた時期でしたし楽しんでもいましたが、良い指導者にならんと力みがあった時期でした。しかし、先生の指導法によって起きたのは、「何のためにヨーガをするのか」と自身への問いかけだったのです。
そして、その変わらなさは、「退屈さ」ということよりも、私にいつも「安心」と「心の静けさ」をもたらしてくれました。
コロナ禍で、先生からヨーガを受け取ることがオンラインになりましたが、数年の間にその内容に「変化」が起きていました。ベースの流れは基本的にそのままなのですが、よりいのちに寄り添う性質が濃くなり、自分のいのちだけではなく、まわりの人々や大きな自然と繋がりの中に包まれた先生の姿を感じることが出来たのです。
今日の練習でも多くの気づきがありました。
・先生の姿を見ていたいけれど、見なくてもそこにいることを感じる。
・言葉を明確に拾っていないのに、流れに乗れている。
・先生や仲間と、同じ瞬間に同じ波動の中にいることを感じる。
・10年前よりもずっと穏やかなエネルギーで、動きはさらにスロー、そしてすごく強さが生まれること。
・いのちが反応して涙が出た。
今回は趣向を変えて、グループワークではなく
①ヨーガを始めた理由 ②今、どんな風にヨーガと関わっているか
参加者の一人一人が話してみるという試みが与えられました。
・最初はダイエット目的でヨーガを始めたが、自分の先生に「ヨーガはダイエットではありませんよ」と教わることからスタートして、不思議なことに「実母との関係性」に触れることになった。
・カウンセリングの仕事をしていて、座禅や瞑想もしているのだが、ヨガのたね講座をきっかけにヨーガをした後に、瞑想をするようになった。
・家族の介護と子育てなどに追われている中、心の癒しを感じたヨーガに行き着いた。ヨーガの世界でも心の癖でしんどい思いをしていたが、ヨーガの真髄に触れ、「宇宙の叡智としての自分」を感じるために練習するようになった。
・もともとスポーツをしていて、身体の調整法としてヨーガをしていたが、仕事がきつく精神的に参っていた頃に、ヨーガはこころにも効いていることを実感。今はまた新しく身体としてのチャレンジをしながら、ヨーガを整えるために行っている。
・
などなど。
J先生はひとりひとりのはなしをいつも丁寧に聞き、そのひとに合うように思うところを返す、ことばのキャッチボールがほんとうに
細やかだと感じます。ヨーガはまず自分自身の声を聞くことにつながるのは間違いありません。でも、どんなヨーガでも良いわけではなくて、自分と繋がった時聞こえた声に対して、どんな態度をとるのかによって、結果は大きく異なると思う。
無視すると、心地よさは生まれません。受け取った言葉がどういった意味合いを持つのか、しばらく思案してもいい。
J先生は「神聖なものが、形となって顕在化している」という言葉を繰り返しました
彼にとって、ヨーガは神への祈りなのだそう。
私も、練習にムキになることはもうなくて、祈りだけで終わることがあるのを自分に突っ込んでいたところだったので、
「なまけもの」の自分を責めなくていいんだなと楽になりました。