ヨーガとタントラ no.3

 

***ヨーガの道の始まり

 

ヨーガに出逢い、ようやく自らの居場所を得て、私はその喜びを味わっていました。

 

ただ、いくら指導者養成講座を修了したといっても、伝える道は始まったばかり。目の前に座ってくださる方々に、真摯に向き合っていくには、まだまだ足りないものがあると感じていました。自分の内側にわき起こった疑問を一つずつクリアにしていくために、信頼できる先生に尋ねたり、書物を読んだり、実践したり……、そうして数年が経ちました。

 

しかし、私はまた同じ過ちを繰り返していました。「良い指導者になる」という目的に、照準を合せていたのです。自分のためのヨーガから離れて、ひとのためのヨーガに一生懸命になっていました。「私のために今ここにあるいのちを慈しむ」ことではなく、「指導者として足りないものを完璧になるまで追究する」という方向を向いてしまっていたのです。

 

そんな折、身近にいた先生が、ハートオブヨーガという講座を受けに東京まで行かれました。彼女は自分にとても厳しく、まっすぐな女性で、自己研鑽を絶やさない方でした。彼女が神戸に戻って来てからの、その変容に私はとても驚かされました。それは、「自分をさらなる高みに向かわせる厳しさ」ではなく、「自分の内側に寛いでいる柔らかさ」を感じたからです。

 

彼女は言ってくれました。「直ちゃんは、すでにハートオブヨーガだから、そのまんまでいい」と。きっと、とても嬉しいことを言ってくれているのに、彼女が何故そんな風に柔らかくなったのか、私が何故このまんまで良いのか、私にはさっぱり解らず、ただ驚くばかりでした。

 

その春からオープンした、彼女のスタジオで私は働くことになっていました。それも、そのハートオブヨーガのスタジオということになっており、私は困惑しました。「知らない私が教えても良いのか」そんなことを、私が私に赦すわけがありませんでした。

 

そこで、私はマンツーマンで、彼女からハートオブヨーガを教わりました。彼女を通じて、すでにハートオブヨーガを学んだ方々と会う機会が増えました。

 

(彼らはどうも今まで私が一生懸命学んできたヨーガとは違う、とても大切なことを話している)そのことは感じるのに、その答えがまだ見えない……あの頃は、孤独感、焦燥感、渇望感、そういうものが私の中にありました。

 

ハートオブヨーガとは、いったい何なのか。私の探究の方向性がそちら側へ傾き始めたのがはっきりとわかりました。

 

(続く)